明治維新 策源の地を辿る

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御屋形 藩庁門

藩主毛利敬親が幕末の文久3年(1863年)に、山口県庁のこの位置に萩から藩庁移転を計画。慶応3年(1867)に完成していますが、そこに至るまで多くの困難がありました。禁門の変を端に発する第一次長州征伐が発生後、建物はほとんどが破却。しかし、高杉晋作らが長州諸隊を挙兵し、大田・絵堂の戦いで藩正規軍を打ち破った後、俗論派は排除され、再び正義派が藩政を握りました。

1866年には山口政事堂が再建され、直後に四境戦争(第二次長州征伐)で幕府軍に勝利。以降、敬親は正式に山口を拠点とすることとなりました。

現在は正門と堀が残っており、県の重要文化財に指定されています。

菜香亭

井上馨や伊藤博文などの政治家や文人が交流した料亭。最も華やかだった昭和11年当時を移築復元。明治時代の建材が残る木造2階建ての母屋には100畳の大広間や居間、客間があり、中世の水墨画や明治以降の政治家・文人等の揮毫した扁額等のほか、歴代首相9人を含む29枚の書が掲げられています。

現在地への移築は2004(平成16)年で、観光拠点施設、また市民交流施設「山口市菜香亭」として復元されました。

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