西の京やまぐち – 大内文化と一の坂川の旅

室町時代、西日本に大きな影響力を持った守護大名の大内氏は、山口を本拠に応仁の乱をはじめ、日本の歴史に大きくかかわった存在でした。璃光寺五重塔をはじめ、「山口祇園祭」や「鷺の舞」、「大内塗」や「外郎」などその面影は色濃く残っていて、いまもなお山口の誇りとして受け継がれています。

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龍福寺(大内氏館跡)

龍福寺の敷地内にある資料館には大内歴代画像も展示されており、中でも大内政弘を描いたものはここでしか見ることができない貴重な1枚です。

室町時代には周防の守護職大内氏の居館が存在しており、正平15年(1360)頃大内弘世が大内御堀からこの地に館を移し、京の街を模して、街造りをしたといわれています。大内氏歴代の当主はここで政務をとり、約200年間西日本の政治、経済の中心地になりました。

八坂神社

町屋づくりの建物が建ち並ぶ竪小路の傍らに朱色の大鳥居が印象的な場所があります。

本社は大内弘世が応安2年(1369年)に京都から勧請したものです。
江戸時代の末期毛利氏は本殿をこの地に移しましたが、本殿は永正16年に建立されたままのものです。本殿の周囲に配されている13個の変化に富んだ蟇股(かえるまた)は珍しい図柄とともに室町時代の特色がよく出ています。 毎年7月20日~27日に行われる「山口祇園祭」は八坂神社の例祭です。初日は、八坂神社で「鷺の舞」が奉納され、最終日には御旅所から八坂神社へ神様をお返しする御還幸(ごかんこう)が行われます。

一の坂川

室町時代、大内氏が一の坂川を京の鴨川に見立てて町割りをしたといわれ、山口が西の京といわれる所以となっています。左岸の竪小路エリアには当時の町並みが多く残っています。 春には桜が咲き、夜間にはライトアップして夜桜観賞が楽しめます。6月にはホタルの乱舞を見ることもできます。

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