日本最初の天神様 防府天満宮
防府天満宮は平安時代初期の学者・政治家であった菅原道真を祀り、学問の神様として信仰されています。
創建は平安時代の中期に遡り、日本最初の天満宮として知られています。
防府天満宮では、国の重要文化財9点、県・市指定文化財8点、ほか約500点の宝物並びに多数の古典籍を収蔵しています。重文「紙本著色松崎天神縁起絵巻 箱入」は、応長元年(1311年・鎌倉時代)に制作されました全6巻からなる絵巻物です。天神縁起は中世につくられた社寺縁起の中でも、現存作品数において他を圧倒しています。
その数多い天神縁起の中で松崎天神縁起絵巻は、制作年の明らかな稀な作例でかつ破損や散逸のない完本として貴重な存在とされ、さらに濃密で華麗な色彩と的確な描写は鎌倉期の絵巻中でも類例が少ないといわれています。
暁天楼(ぎょうてんろう)~維新の志士たちの息づかいが感じられる場所
お茶室の門をくぐって左手にある、二階建ての古めかしい建物を「暁天楼」といいます。もとは天満宮門前宮市にあった宿「藤村屋」の離れだったもので、藤村屋の廃業にあたり天満宮に寄贈され、のち老朽化に伴い解体されましたが、昭和59年(1984)に藤村屋の子孫の方により現在の場所に絵図面にしたがって復元されました。
藤村屋は天保十二年(1841)当時、天満宮周辺にあった22軒の宿屋のうちのひとつで、当主は勤皇の志が篤く、また宿のもてなしがよかったためか、坂本龍馬、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文ら、維新の志士たちもしばしば利用したそうです。
建物の1階は漬物小屋として使われていたため土間で、2階(通常は閉鎖)は6畳間が2間あり、板張りの広縁が2間を囲む形で2方向に巡らされています。この2階に上がる階段は実は隠し階段になっており、維新の志士たちが、いざという場合には息をひそめて隠れていることのできるこの場所で密談をしたのだろうという想像が現実味を帯びてきます。
復元前の2階の床柱には刀傷がついていたそうですし、戸袋には墨で勢いよく書かれた落書きがあり、これは坂本龍馬の手によると言われています。また、「暁天楼」の名前は、旧来「適義楼」と呼ばれていたものを、訪れた山県有朋らが改めたといいます。
御神木のそばにたたずむ暁天楼。
復元されたものではありますが、幕末動乱期の空気をひしひしと感じさせてくれる場所です。
周防国分寺
周防国分寺は、奈良時代聖武天皇の国家の災除景福を祈る勅願により、国ごとに設置された官寺のひとつです。
続日本紀によれば「天平9年(737)国ごとに釈迦像1躯扶侍菩薩2躯を造らせ、大般若経を写さしめ、官寺としての体制をととのえさせた」とあり、少なくとも、天平勝宝8年(756)には周防国分寺は存在していたことが記録されています。
創建当初の境内(30000平方メートル)に、今も伽藍を残す全国でもきわめて珍しいもので、境内地は国の史跡に指定。また、重要文化財の金堂は藤原初期の木造日光菩薩月光菩薩をはじめ多くの仏像・宝物が存在しています。