今八幡宮 – 山口の総鎮守が歩んだ時代の変遷

山口の総鎮守である今八幡宮の社殿は室町時代の特徴的な神社建築で、大内義興によって文亀3年(1503)に建立されました。本殿、拝殿、楼門は昭和25年に国の重要文化財に指定されています。また、楼門は左右翼廊付の五間二面で、中央に三間二面の上層をのせ、屋根は本殿、拝殿と同じこけら葺きです。

楼門は拝殿と兼ねた独自の形式で、山口地方には同様のものが見られます。
本殿は向拝付三間社流造りで、周囲や外陣、向拝の斗きょう間には多くの蟇股があり、図案も天体や宝珠など特異なものが描かれています。

今八幡宮の創建年は不明であり、大内氏24代弘世の山口開府(1360年)以前にさかのぼります。
29代政弘によって山口の総鎮守に。次代義興によって造営された社殿は、現在では国の重要文化財にも指定されています。

大内氏による参拝・寄進と毛利氏による保護

大内氏の居館(大内館)北東の鬼門除けにあたる守護であり、産土神(うぶすがみ)であることから、山口町の総氏神として「山口総鎮守」の尊称を受けました。
大内氏の崇敬は極めて篤く、常に当主の参拝や寄進が行われ、大内義隆はその財力を誇示する巨大な鰐口を寄進しています。さらに貴族風な義隆は網代車で社参するなど、その権勢は山口を中心に最高潮に達しました。

大内氏滅亡後も、毛利氏により当宮は引き続き篤く保護され、神領が寄進された他、修繕の際の費用は藩より支弁されています。一門の病気平癒祈願なども当宮に対する尊崇の表れです。

幕末

八幡隊と呼ばれる諸隊の一つが結成され今八幡宮はその屯所となり、四境戦争(長州征討)などで活躍した志士たちが密談を重ねた場でもありました。

今八幡宮

  • URLをコピーしました!
目次